もともと横浜には中華街からの流れを受けた生碼麺(サンマーメン)というご当地ラーメンが存在していたのですが、1974年に横浜は新杉田に「吉村家」(※現在は横浜駅西口に移転)が開店した後、いわゆる家系ラーメンが横浜のみならず神奈川を代表するご当地ラーメンとして次第に世間に認知されるようになっていきました。とはいっても実際に現在のような家系ラーメンの盛況を見ることになるのは1990年代の中頃を過ぎてからのことです。 今や神奈川のみならず全国的に家系ラーメンを提供するお店は増え続けていますが(※反面、閉店してしまうお店も増加の一途ですが)、そもそも何をもって“家系”と称するのかといえば、基本的には「吉村家」をルーツに持つお店、もしくはその味・スタイルを模倣したお店をひとくくりにして大雑把に“家系”と呼んでいるのが実情です。“家系”というカテゴリーにエントリーされるお店の大半が店名に「〇〇家」という屋号を用いていることから、“家系(いえけい)”という呼称が広く世間一般に広まり、定着しました。しかし近年、家系の店舗が乱立していく中で、「〇〇家」という屋号を用いることが必ずしも家系のステータスであるとはしていないお店も相当数認められてきています。そのためもはや“家系”というカテゴリーの定義は、多少の曖昧さの上にでしか成立し得ないのかもしれません。 家系のスープはいわゆるとんこつ醤油。豚のロース骨、ゲンコツ、鶏ガラ、野菜、昆布などの具材を長時間かけて煮出すことで作り出されるダシに醤油ダレ、葱・生姜等で香り付けされた鶏の油(チーユ)を加えることで、お客さんの前に出される家系ラーメンのスープとして完成します。この濃厚なとんこつ醤油のスープに太いストレートタイプの麺、具として大判の海苔(※3枚が定番・サイズ 6切)、チャーシュー、ほうれん草、刻み葱が入っているのが家系ラーメンのオーソドックスなスタイルです。またお客さんが自分の好みで“麺の固さ”“味の濃さ”“脂の量”を変更してオーダー出来ることも、家系の大きな特徴のひとつとなっています。 器(※ドンブリ)について‥家系のルーツである「吉村家」がラーメンショップから派生したという経歴を持つだけあって、水色の器でラーメンを提供するお店が多いです。屋号に未だ“ラーメンショップ”の名を冠する「寿々喜家(すずきや)」や、そこから派生したお店では現在でも頑なに水色の器を使用し続けています。しかし残念なことに「吉村家」を始め、食べる人に力強い印象を与える黒色や、スープの色が映えやすい白色の器を用いるお店も一方では増え続けております‥。 |
家系の歴史は、今から遡ること約30年前の1974年に「吉村家」が横浜の新杉田に開店したことから始まります。店主の吉村実氏は不確かながら関東とんこつの異名を持つ“ラーメンショップ”の出身ともいわれ、そのこととどれ程の関係があるのかはわかりませんが、吉村氏本人も語っているように関東の人が好きな醤油味ととんこつをミックスした新たなスープのアイデアを思い付き、後に“家系”と呼ばれるラーメンを誕生させることに成功しました。この「吉村家」のラーメンの味は次第に評判を呼び、横浜の本牧に新たに「本牧家」を開店させるほどの賑わいをみせます。 その後、「吉村家」「本牧家」などで修行していた人々が次第に独立していき、神藤隆氏の「六角家」を皮切りに神奈川の各地で家系のお店が次々とオープンしていくのですが、その中には家系を語る上で欠かせない人物のひとりである近藤健一氏の「横濱家」も含まれています。この「横濱家」は近藤氏がオーナーではなく、出資者が経営権を握っていたことが不幸のタネであったらしく、両者の間で何らかの意見の相違があり、そのために近藤氏は「横濱家」を離れざるを得ませんでした。その後近藤氏は別の出資者と「介一家」を始めて、「横濱家」とも違う新たな家系ラーメンの味を作ることになるのですが、ここでもまた出資者との間で意見の相違があり、「横濱家」の時と同様退社という道を選ぶことになります。 近藤氏は「介一家」を去った後、1992年ついに念願の自らがオーナーとなるお店「近藤家」を港北ニュータウンのセンター北にオープンさせました(※2004年12月現在、近藤家は横浜の港北にある本店を始め、相模原、大和、川崎にそれぞれ支店を出店するほどの繁盛を見せています)。そしてこの1992年以降、ゆっくりとではありますが「吉村家」をルーツとする店舗は着実に増えていき、またその模倣店も数多く見られるようになり、現在の家系ラーメンの盛況を生み出すもととなったのです。 |
家系ラーメンの麺には、大半のお店でもちっとした太いストレートタイプのものを採用しているのですが、そのほとんどが自家製ではなく製麺所から納品されたものを使用しているということも家系の特徴のひとつです。家系ラーメンの麺を製造している製麺所はいくつか存在するのですが、その中でも一番有名なものは「吉村家」にも納品している“酒井製麺”でしょう。酒井製麺はもともとはうどんの麺の製造を得意としていた製麺所らしいのですが、どうやらそのノウハウを活かしてあの独特の食感を持つ太ストレート麺を完成させることに成功したようです。この酒井製麺の麺を使用するためには一説には「吉村家」の許可が必要であるとも言われ、事実として「吉村家」から独立した子、孫、曾孫…にあたる店舗でしか使用が確認されていません(※注:一部例外アリ
e.g.:えん寺,がら屋)。
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